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この週末も、テスラの運転練習をしました。

毎週末に少しずつ運転をして、ペーパードライバーから脱却しようとしているのですが、実際に運転してみると、毎回何かしら学ぶことがあります。

今回は、駐車場から左折して道路に出るところで、少し怖い思いをしました。

その出口は、右側の見通しがほとんどありませんでした。

さらに、駐車場の右側から出口に近づいたため、車が斜めになっていて、本来見なければならない右側が、逆にほとんど見えなくなっていました。

左折するには、右から車が来ていないことを確認しなければなりません。しかし、見えないものは見えないので、少しずつ前に出るしかありません。

見通しの悪いところでは、車の先端を少し出して、相手にこちらの存在を知らせる、という話を聞いたことがあります。

ただ、今回考えたのは、相手に見つけてもらうために前へ出るのではなく、自分の視界を確保するために前へ出る、ということでした。

相手が気づいてくれるとは限りませんし、気づいたとしても止まってくれるとは限りません。

少し前へ出る。止まる。右を見る。左や歩道も見る。

まだ見えなければ、また少しだけ前へ出る。

そうやって、確認できる場所まで進むしかないのでしょう。

今回の場合は、その前に、出口に対して車をもう少し真っすぐにしておくべきでした。

斜めのまま左折しようとすると、右側が見えにくいだけではなく、少し前へ出たつもりでも、車は道路側へ曲がっていきます。

必要であれば、駐車場内で一度切り返して、出口に正対する。

視界が得られるまではハンドルを切らず、まず真っすぐ前へ出る。

こういう事前の車の置き方が、割と大切なのだと思いました。

もう一つ難しかったのが、テスラにはクリープ現象がないことです。

ブレーキを緩めて、自然に数センチ進むというわけにはいかず、アクセルを少し踏まなければなりません。

右を見ながら、アクセルをほんの少しだけ踏むというのは、意外と気を使います。

こういう時は、アクセルを踏み続けながら確認するのではなく、少し動かして、完全に止まり、それから見る方が良いのでしょう。

動くことと、見ることを分ける。

言葉にすると簡単ですが、運転中には、後ろの車を待たせてはいけないとか、早く出なければとか、いろいろな気持ちが出てきます。

しかし、少し待たせることより、見えないまま道路へ出ることの方が、もちろん問題です。

52歳になって、改めて運転を学んでいます。

若い頃のように、なんとなく感覚で覚えるというより、怖かった場面を一つずつ分解して、次はどうするかを考える感じです。

それもまた、今の年齢なりの運転の覚え方なのかもしれません。

今回の教訓は、出口にはなるべく真っすぐ入ること。

そして、見えるまでは曲がらないこと。

割と大事なことを学びました。

それでは。

2025NagasakiFukuoka

2025年4月に長崎へ向かった。

稲佐山に沈む夕陽は、まだ白味を帯びていた。高度が高いうちから山の向こうに隠れるので、壮年のうちに戦いに命を失った英雄たちのことを思った。

岸壁近くのレストランの座席に身を沈め、光を失う港の海を見つめていた。長い冬が終わり、空気の緩んだ街には活気が戻って来ていて、店員の女性は、やっと客が戻ってきたんたです、と顔を綻ばせた。馴染みの客、どうやらその客は先生と呼ばれる、品のいい初老の夫妻だったのだが、その店員の女性は、幾度となくその夫妻と会話を交わしていた。私は、なにか、物語のなかに不意に入り込んでしまったようだったので、筋立てを変えないよう、気配を消しながら、岸壁の先に見入っていた。

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I have a trip plan of Nagasaki and Fukuoka. In this weblog I will report it.